クリスマスという、クリスチャンが総立ちスタンディングオーベーションで沸き立つイベントについて深く考えてみよう。
ここ日本においてクリスマスというのは、浮かれて地上から数センチ浮いている猫型ロボットと同じ状態になっている男女が、他人の目を気にせず乳繰り合える、年間最大の年中行事である。
しかし、この最大の年中行事にも関わらず、40,293,000人の被害者を出してしまう。
(恋人がいない人の割合は66.6%)(乳繰り合える年齢の人口より算出・60,500,000人/2021年10月時点)
そもそも、クリスマスはキリスト教のボスであるイエス・キリストの誕生日であるが、日本では恋人たちの公的乳繰り合いイベントとして定着しているため、恋人がいない40,293,000人にとって自己肯定感が激下がりし、劣等感がフルブーストする日として認知されている。
少し待ってもらいたい。
我が国日本の誉れとして、右向け右精神、大衆迎合主義、絶対マジョリティ主義というものがある。
それに照らし合わせてみれば、40,293,000人は圧倒的マジョリティだ。
なぜ、この四千、二十九万、三千人は立ち上がらないのか?
君たちは多数派なのだ。猫型ロボットと同じ状態になっている浮かれポンチなど、マジョリティの無慈悲な正義の鉄槌で討滅してしまえば良いのだ。
しかし、できない。
この四千、二十九万、三千人はマジョリティでありながら、その劣等感でマイノリティに心が屈服しているのだ。
だからこそ、「クリぼっち」やら「メリークルシミマス」やら「オナります」やらネガティブな単語が生まれ、さらなる格差が生まれることで、ただイエス・キリストの誕生日にかこつけて乳繰り合う性欲に振り回されたエテ畜生共に笑われることになるのだ。
立ち上がれ、40,293,000人
抗え!40,293,000人
カップル席を1人で予約して埋め尽くせ!
そして泣け、帰って泣け。来年こそはと泣け。
さすれば、見えてくる世界もあるだろう。
なぜ、他人の誕生日に乳繰り合う必要があるのか?
イエス・キリスト君は自分の誕生日そっちのけで乳繰り合う男女に何を思うのか。
何を祝っているのか、そもそも祝っていくれているのか?
日本人の陰湿な性衝動の言い訳として利用されているだけなのではないか?
イエス・キリスト君も人の子である、、、
あっ神の子だった。
神の子でも嫌なこともあるだろう。
小学生の頃、道徳の時間に学んだではないか、人の嫌がることはやめましょう。
あっ人じゃないのか。神なのか。
まぁ何にしても、自分の宗教とは関係ない奴らが乳繰り合いの公的な言い訳として自分を利用していることを良くは思わないだろう。
まだ間に合う。
神の鉄槌を受ける前に悔い改めようではないか。